私がペットロス・カウンセリングを始めた理由

私の主な仕事は研修講師です。産業カウンセラーの資格は持っているものの、カウンセラーとしての業務は行っていませんでした。もちろん、研修を通じて個人的なご相談を受けることは多々ありましたが、それを主たる業務として行う、といった気持ちにはなれませんでした。

なぜなら、私自身がペットロスから抜け出せていなかったためです。自分自身に大きな問題を抱えているにもかかわらず、それを棚に上げて人様のご相談を積極的にお受けするというのは、非常に無責任なことのように思えたのです。

ここにきて、ペットロス・カウンセリングを始めた理由は、自身の愛犬を亡くした経験をようやく冷静に思い出せるようになったからです。

愛犬を失ってもう9年が経ちますが、本当に長い9年でした。

もちろん今も愛犬を思い出しますし、悲しみはずっと心の中にあるのですが、「“悲しみの深さ=愛情の深さ”だから、まだ悲しいってことはそれほど愛してた証拠」と、ほんの少し、前向きに考えられるようになりました。

おそらく、このホームページをご覧になっている方の中には、何らかの原因で大事なペットを失い、もしくは失いそうになっている方も多いのではないかと思います。自分だけでは処理しきれない、大きな感情に押しつぶされそうになっている方に向け、私自身の体験を綴りたいと思います。

 

前述のとおり、9年前に私は愛犬を亡くしました。僧帽弁閉鎖不全症を原因とする肺水腫でした。まだ10歳でした。

確か年末で、正月休み前に長期出張が入っておりましたので、一足先に犬だけ実家に預けていました。犬の体調があまり芳しくないことは親から聞いていましたが、当時仕事が忙しく、親に犬の世話を任せっきりにしていました。

「まだ10歳だし、それにあんなに元気だったんだから、きっと大丈夫」と、根拠もないのに思い込んでいました。

年末にもかかわらず休日出勤し、実家に帰る予定だったまさにその当日、犬は実家で亡くなりました。親から連絡を受け、すぐ実家に帰省しましたが、当然、死に目には間に合いませんでした。

私なりにですが、大事にはしていました。愛しているという自覚もありました。ですが、死んで初めて、私がいかに犬を愛し、そして依存していたのかを思い知りました。

私はただただ泣き、そして自分を責めました。
なぜ、実家にすぐ帰らずに仕事なんてしていたのか。
なぜ、今わの際まで、愛犬がもっとも嫌っていた“お留守番”をさせてしまったのか。
なぜ、愛犬がこんなにも自分にとって大きな存在であることに気が付かなかったのか。

私は飼い主としての義務を怠った。だから、愛犬は死んでしまった。
全ては私のせい。私が殺したも同じだ。

正直、愛犬が死んでから1ヶ月くらいまでの記憶は非常に曖昧で、よく覚えていません。
朧気ですが、自分と同じ、ペットが亡くなった人たちの体験談を一心不乱にネットで探した記憶があります。
「こんなつらい思いをしているのは私だけではない」「他の人も自分と同じような悲しみを味わっている」その確認をしたかったのだと思います。

愛犬が死んで3ヶ月後、悲しみに耐えかねた私は、新しい犬を飼いました。
(愛犬を看取ってくれた実家の親には、当然「早すぎる」と大反対されました)
新しい犬を飼えば、きっとすぐその子に愛情を持つようになって、この悲しみは消えてくれるだろう。
そう思って飼ったのですが、全く悲しみは癒えませんでした。

逆に、子犬を見ると死んだ愛犬の子犬時代を思い出し、以前にも増してつらくなりました。
(同じ犬種というのもよくなかったのかもしれません)

新しい犬を迎えたのは、(自分の中では)悲しみへの対処の最終手段のつもりでした。
それが全く効果がなかったのです。私は絶望しました。

お葬式もした。遺髪の入ったペンダントも作ってみた。ペットロスの本もたくさん読んだ。新しい犬も迎えた。後はいったい何をすればいいのだろう。どうすればこの思いは消えてくれるのだろう。

悲しみに対して手も足も出ないまま、数年が経ちました。
もちろん、時が経つにつれ、気がつくと泣いている、といったことは徐々になくなりました。
新しい犬に死んだ愛犬の面影を探すこともなくなり、素直に可愛いと思えるようにもなりました。

ですが、愛犬のことを思い出すとどうしようもなく強い感情の渦に巻き込まれそうになるのです。
これはいったい何なんだろうか。

その理由がどうしても知りたくて、いろいろなグリーフ(悲嘆)ケアについて学びました。
そこでわかったことは、悲しみにもいろいろな種類があるということでした。

私は、“愛犬が死んだこと”が悲しいと思い込んでいたのですが、本当は、いろいろなことを悲しんでいたんだと思います。
『誰も、私と一緒に愛犬の死を悲しみ続けてくれないことが“悲しい”』
『悲しみを素直に表し続けられないのが“悲しい”』
『当たり前のように続くと思っていた、愛犬との平穏な毎日が二度と訪れないことが“悲しい”』
『愛犬の死に対して何一つ太刀打ちできなかった自分の非力さが“悲しい”』

また、『悲しみは消えることはない』ということも知りました。
決して消えないものならば、消えないことについてこれ以上苦しむ必要はないんだな、と。

これからも悲しみは私の中に留まり続け、消えることはないでしょう。
また、今飼っている犬が亡くなるときにも、再び激しい悲しみに苛まれるでしょう。
でも、それが避けることができないことならば、「せめて今できることを悔いなく一生懸命やろう」と、考えられるようになりました。

悲しみをなかったことにはできませんが、折り合いをつけて共生していくことは可能です。
まだ立ち上がれなくても、少しだけ顔を上げて前を見るためのお手伝いができれば、と考えています。

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