こんにちは。
前回は、私が重篤なペットロスに陥った原因の一つ目として『空に依存し過ぎていたこと(なおかつその自覚が皆無だったこと)』を挙げました。
二つ目は、『死に目に間に合わなかったこと』です。
空が死んだのは、9年前の12月末でした。
会社は既に年末年始休暇に入っていたのですが、1月中旬に顧客訪問の予定が入っていたため、前倒しで仕事を終えるために私はいつもどおり出社していました。
どっちみち正月は実家に帰る予定だったので、空は先に実家に預けていました。
母から、空の体調が思わしくないことを数日前に聞いていましたが、深くは考えていませんでした。実家に連れて行ったときは、空はいつも通り元気いっぱいだったからです。
「今日、明日中には仕事の目途が付くから、実家にはすぐ帰れる」そう思っていました。
実家に帰る予定だったまさにその日、朝起きたときに携帯を見たところ、何十件もの母からの着信履歴が入っていました。一番早い着信は朝5時です。それを見た瞬間、とても嫌な予感がしました。急いで実家に連絡したところ、既に母が看取った後でした。
実家に着いたときに、母から“最期は、肺に血が溜まり息苦しさのあまり横になることもできず、苦しんで死んだ”旨を聞きました。
空は自分の家ではなく私の実家で、飼い主の私ではなく私の母に看取られて、苦しんで死にました。
留守番が何より嫌いな犬でした。
仕事が忙しかったため、日中はいつも留守番をさせてしまっていたのですが、最期の最期まで留守番をさせてしまうことになるとは夢にも思いませんでした。
なぜ私は、母から空の体調が悪いと連絡があったときに実家に帰らなかったのでしょうか。
なぜ、「実家に連れてったときは元気だったから」というくだらない理由で、事を重大視しなかったのでしょうか。
仕事なんてどうでもよかったのに。空のほうが100倍大事だったのに。
人間である私があれほど空に依存していたのですから、犬である空はどれほど私に依存していたことか。
それこそ人生の全てだったはずです。
なぜ私は、最後に裏切るような真似をしてしまったのでしょうか。
未だにこれらの後悔の念は消えません。罪悪感も消えません。
きっとこれからもこの後悔と罪悪感を抱え、私は残りの人生を過ごすことになるのでしょう。
少し大げさでしょうか。
でも、他人から見ればただの犬かもしれませんが、私にとってはかけがえのないパートナーだったのです。
次回は空が死んだ後のことを書きます。
ではまた。
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