空が死んだ後のこと③

今日は、ペットロスによって生じた、周囲や自分への怒りを私がどうやって治めたか(というより矛先をどこに向けたのか)について書こうと思います。
ただし、最初に書いておきますが、これは個人の性格や置かれている状況にもよりますので、万人に通じるものではありません。また、こういう処理の仕方は(私が言うのもなんですが)決してお勧めはできません。こういう人もいるのね、程度に読んでいただければと思います。

新たに生じた周囲に対する怒りを解消する手段が見当たらなかった私は、仕事に集中することにしました。
ちょうど遠隔地にある企業のコンサルティング案件が半年ほど続いていたため、それに全力で逃げることにしたのです。
ですが、仕事をしているときは気は紛れるものの、家に帰れば空が死んだ当初と全く変わらずただただ泣き続けていました。
正直、この当時のことも途切れ途切れにしか覚えていません。

ある日、いつものように家で自分をなじりながら泣いていたのですが、泣きすぎで頭が朦朧としてきたことがありました。
朦朧としたせいで少し感情の波が緩くなり、ふと「そもそもなんで年末帰らなかったんだっけ」と今更なことを考えました。

「仕事があったから」

もう一人の自分が問いかけます。
何の仕事?

「今やってるコンサルの仕事」

なんでそこまで?

「あのお客さんは私を必要としてくれているから。だから役に立ちたかった」

期待に応えたかったのね。

「そう。だって私を必要としてくれるのはあのお客さんだけだもの」

会社は?あなたを必要としてくれないの?

「してくれないよ。もし必要としてたらもっと評価してくれてるはずだし」

だからあなたはこの案件に対して熱心だったのね。

「そう」

じゃあ、会社がもっとあなたを必要としてくれていたら、もっと大事にしてくれていたら、年末まで仕事をする必要はなかったのかもね。

「!!!」

この瞬間のことは今でもはっきりと覚えています。まるで雷に打たれたような感覚でした。

もっと会社が私を必要としてくれていたら、あれほどこの案件には執着しなかった。
そしたらもっと早く家に帰れて、空の体調の変化にも気が付いていたかもしれない。
そしたら空は死ななかったし、死に目に会えないなんてことも起こり得なかった。

そうか。全部あの会社のせいなんだ。

うまい例えが見つからないのですが、自分の中で最も暗くて醜くて激しい何かが、一斉に同じ方向を向いた気がしました。
私は普段から怒りは頻繁に感じる人間ですが、こんなどす黒い感情は生まれて初めてでした。
怒りとは全く異質の、それはまさに心の底からの憎悪でした。

もちろん、どこからどうみても見当違いなことは分かっていました。
ですが、空の死の原因を、自分以外の何かのせいにすることを切望していた私は、この考えに飛びつきました。
自分に対する怒りや罪悪感、自責の念その全てが、憎しみに姿を変えて会社に向かったわけですから、そのパワーは推して知るべしです。

憎悪の対象にいつまでも留まっているわけにはいきません。翌日から、私は独立への準備を始めました。
会社が憎くて憎くてたまらないわけですから、当然(退職することに対しての)周囲への影響については全く気にしませんでした。
おかげで有休も全て消化できましたので、むしろ良かったのかもしれません。
行動の方向性を見つけて心が楽になったせいか、それからの記憶は今もちゃんと残っています。

憎悪は、私にとって地獄のような日々から抜け出す助けになりました。ですが、残念ながら未だに私の中にくすぶっています。
独立してもう6年経ちますが、会社に対する憎悪は、この先決して消えることはないでしょう。
ちなみに、憎悪の心を持ち続けるのは決していい気分ではありません。こんな感情を持っている自身に対してイヤになってしまうこともありますし、何より非常に疲れます。皆さんも気を付けて。

ではまた。

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