空が死んだ後のこと①

お正月が終わると同時に休暇も終わり、私は普段通りの生活に戻りました。
私にとっての唯一の救いは、仕事を続けていたことです。
会社に行けば当然、誰かと話をしたり仕事のことを考えたりする必要がありますので、その瞬間だけは空が死んだ事実から気をそらすことができましたから。
もしも仕事をしていなければ、今頃どうなっていたか、自分でも分かりません。

とは言うものの、私の精神的なダメージは非常に大きく、一応会社には行っていたものの、常に泣いている状態でした。
特に出社時の電車の中が酷く、1時間の通勤時間の間はほとんど泣きっぱなしでした。さすがに日中は社内の目がありますのでなんとか我慢できるのですが、家に帰って玄関のドアを開けた瞬間にもう号泣です。

私の心を苛んだのは、罪悪感と自責の念でした。
何かしないと狂ってしまいそうだったので、私と同じようにペットロスで苦しんでいる人たちの体験談を毎日毎日検索し、読み漁りました。
そして、私と同じように罪悪感に苛まれている人の書き込みを読んでは共感し、ただただ泣いていました。
朝起きて、泣いて、会社に行って仕事をして家に帰って、泣いて、ネットで体験談を読みながら泣いて、そのまま寝る。
そういうサイクルを繰り返していたのですが、そのうち未読のペットロス体験談が見当たらなくなってきました。
何しろ、毎日帰宅後に何時間もネットで検索していたので、全て読みつくしてしまったんです。
することがなくなると、罪悪感と自責の念、そして空がいないという現実が、いつもにも増して強く大きく迫ってきます。

このままではおかしくなってしまう。

焦った私が次にしたことが、「〇〇したらペットロスから抜け出せた」とネットに書かれているものを一通り試すことでした。
“お葬式をすると心の整理がつく”とあったので、写真立てと花瓶を買い、毎日お水とお花を供えました。
“写真を肌身離さず持っていると心が落ちつく”とあったので、写真を現像し財布に入れました。それでも足りないような気がしたので、遺髪をロケットペンダントの中に入れ持ち歩きました。
手あたり次第ペットロス関連の本を読み漁りました。

矢継ぎ早にいろいろ試しました。でも、全てダメでした。
むしろ、ここまでいろいろと試しているのに全くペットロスから抜け出せない自分に対し、苛立ちが募りました。

今思い出すと、この時期(空の死後2カ月間くらいまで)の私の精神状態は極めて異常でした。
小型犬を連れ、普通に散歩をしているだけの人に腹が立ちました(「うちの犬が死んだのに、なぜ他の犬が元気なんだろう」)。
楽しそうに笑っている人に腹が立ちました(「うちの犬が死んだのに、なんで笑ってるんだろう」)。
日常の会話を振ってくる、会社の同僚に腹が立ちました(「うちの犬が死んだのに、なんで普通に振舞ってるんだろう」)。
ペットロス体験談で「〇〇(ペットの名前)、ありがとう」などのコメントを見ると、「この人はきっとペットに対して飼い主の責務をきちんと果たしたんだろう。それに比べて自分は・・・」と腹が立ちました。
「虹の橋」の詩を読み、「空は虹の橋のたもとなんかにはいない。だって空は冷たい土の中にいるんだもの。これからもずっとそこから出られない。空をそんな目に合わせたのは私だ」と腹が立ちました。
考え方の異常さにどこかで気が付いていながらも、当時の私は自分自身を止める術を持ちませんでした。

続きは次回。

ではまた。

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