ここまでが、空が死んでから3ヶ月の間に私自身に起こったことです。
今考えますと、いろいろと反省点と言いますか、もっとこうしていればこんなにペットロスが長引くことはなかったのにというポイントがありますので、振り返ってみたいと思います。
まず、根本的な問題として、
①空が死ぬまでの間にベストを尽くしていなかった
これは普段の生活もそうですし、空の体調が悪くなってからのこと、そして最後を看取れなかったこともそうです。
私は、空と一緒の生活がこれからも続くと信じて疑っていませんでした。
ですが、よくよく考えてみれば、この世の中に「絶対」なんてものは存在しないのです。
もしかしたら明日には私自身が、不測の事故等でこの世からいなくなっているかもしれない。それは誰にも分りません。
だからこそ、今やれることを精一杯やるべきだったのです。
もしも空をすぐ動物病院に連れて行っていて、なおかつ体調が悪くなってからも付きっきりで看病していたら、ここまでの凄まじい罪悪感には苛まれなかったのではないかと思います。
もちろんベストを尽くしたとしても悲しいものは悲しいし、後悔の念も残るでしょう。ただ、「自分なりに精一杯やった。あれ以上は私には不可能だった」という思いがあれば、もっと早く前を向くことができたのではないかと思うのです。
次に
②他者にもっと自分の感情を表現すべきだった
ブログでも書きましたが、私は「飼っていた犬が死んだ」という事実を伝えたのみで、いかに空を愛していたか、いかに今後悔しているか、いかに今悲しんでいるかなどについて、一切他者には話していませんでした。
もちろん、私なりに話さない理由はありました。ペットを飼っていない人に話してもどうせ理解してもらえないだろうとか、あまり感情をぶつけると相手が引いてしまうのではないかとか、涙が邪魔してうまく話せないかもしれないとか、どうせ話したって空が生き返るわけじゃないんだからとか。
でも、やっぱり誰かに話すべきだったのです。例え現実は変わらなくとも。
私は自分の精神力を過信していたのかもしれません。私は強いんだから、これぐらい自分自身の力で乗り越えていけるはず、と。
ただ、私が思ったよりもはるかに空は、私にとって大事な存在でした。そのことに気が付いたときにはもう遅かったわけですが。
最後に
③早期に病院もしくはカウンセリングに通うべきだった
ブログをご覧になっていただけるとおわかりになると思いますが、当時の私は明らかに異常でした。
涙が自分の意思では止められない(しかも一日中・ほぼ毎日)だとか、家に辿り着くなり号泣だとか、他者が憎くてたまらないだとか、会社に対して心の底からの憎悪を感じるだとか、そんなことは通常ではあり得ません。明らかに心身ともにおかしかったのです。
しかし、当時は「もしかしたら私はちょっとおかしいのかもしれない」という自覚はほとんどありませんでした。
普段通りの生活を送るので精一杯で、通常の自分から今の自分がどれくらいズレているかなんてことには、到底考えが及ばなかったのです。
もしもこの時に適切なケアを受けていたら、ペットロスに長々と苦しめられることも、憎悪に身を焦がすこともなかったかもしれませんね。
ではまた。
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